文化祭の類、なんか前向きに参加したいと思えないところがある。
っていうのも、私は非日常的で混沌としている中での状況の把握とか優先順位とか場の統率とか、ピリつきやすい人間関係の調節とか、
この手のものは、自分でも、そしてたぶん誰が見ても「向いてる」し「得意」なことではある。
ただ…あまりいい記憶として残っていない。
ゆえに、文化祭の類の話が耳に入ると、またあれをやらなきゃいけないのか…という気持ちになってしまう。
自分はやけに責任感強いせいで、やり始めたことがなあなあになってくのを黙って見てたり、手を抜いて参加したりすることができない。
から結果的にやってしまうだけなのである。ましてや「得意」だからできてしまうのである。
肩書きのある責任者たちはそっちの仕事と部活の両立で忙しいからクラスにいられない。
そうなると現場の進捗を把握して取り仕切る人がいないと当日に間に合わない。
そしてやるならちゃんと人様に胸を張って見せられるクオリティのものを作りたい。
したがって中学高校時代の文化祭は、過半数が熱量の低いクラスごとの出し物を、結局毎年仕切ることになっていた。
本当にこれは今だから言える話。
まあ当時も耐えきれずに愚痴っていたはずだけど…
クラスの出し物は基本的にみんなモチベが低い。
必然的に文化祭の準備期間にクラスにほとんど人がいない。
文化系の余力のある子たちが粛々と作業をしてくれていたりする一方で、”部活が忙しい”ことを口実に他のクラスをブラブラ遊び歩いて帰ってこない運動部のなんと多いことか。
そして困ったことに、彼女たちに対して私は上から強くは言えない。もうこれは暗黙の了解のカースト。普段は感じないけどこの時ばかりはマジで気を遣う。
強く言っても逃げ場がいくらでもある以上誰もついてきてくれないから。
結果的に、明るい声で
「ほんと喋りながらで全然いいからこれやってくれなーい?🙏」
「まじー!!ほんっと助かる!!」
その子たちがフラッと帰ってきたタイミングで掴んで離さない。
人を動かすのは本当に体力を使う。
私だってクラスのことやりたくてやってるわけじゃないのに。っていう本音を押し殺してこの声を出す。
熱量の差って難しい。
あれはもう勘弁。
でもそうは言っても悪いことばかりじゃなくて
自分に仕事があって求められていて、能力を活かせていて、あれだけ自己陶酔感を味わえる環境もなかなかなかったなとも思う。
日頃から感覚の合う子たちは、本当に協力的で
その子たちから次々に飛んでくる
「(私のあだ名)ちゃーーん!次何やったらいいーーー?」
は本当に気持ちが良かった。
頼まないと何もしてくれない子たちがいる一方で、
仕切るのは苦手だけど働くよ!と頼もしく能動的に動こうとしてくれる子たちがいる。
それに対して頭フル回転で
「あーじゃあ、あれがたぶん今手つけられてないから〜してくれる?」
「あっちが人手足りてないはずだから見てきてもらってやることなさそうだったら、これやってほしい!」と
自分でも驚くほど全体を把握して瞬時に返答していた自分も、我ながら流石にカッコよくて気持ちがよかった。
書いているうちに気づいたのは、
なんだかんだ言って、「得意」「向いてる」「好き」は揃っていたのかもしれない。
ただ学校の文化祭だから金銭という対価がない、そして熱量に差があるっていうのが問題だっただけなのかも。
大学生になってある程度いろんなバイトをかじってきて、結局楽しくて続けたい、連勤してもキツくないと思えてるのはイベントの物販なのも、その辺の条件が揃っているからな気がする。
非日常のエンタメ空間が好きで
そこに仕事を捌く力が求められて
さらに責任のある仕事が振られると嬉しくて
プロのエンタメの世界だから比較的熱量は高い
そこに高くはないが納得感のある給料
って言ってる医学生ですが進路間違えたかな大丈夫そ?笑
自分は何を生きがいにしたどんな大人になるのでしょう。
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