考えすぎは良くないのか
なんか世間的に一般的に「考えすぎはよくない」っていうのあるよね
たしかにメンタルによくないし、損なことが多いんだよね、それはそう。自覚あんの。
でもね、「考えすぎは良くないわよ、って言われて考えすぎを辞められるくらいなら、最初から考えてないんだけど。」って自分の中の中学生は言い返してるんです心の中で。
あらゆることを必要以上に考え込んでは、悩んで気持ちが落ち込んで辛くなるわ、それをきっかけに神経過敏になったりもしてきたから、そりゃあ何度も「考えすぎ辞めたいいいい!!」ってなってきたんだけど、
今では、考えすぎてる状況を俯瞰して、話を聞いてくれてる人に対して「これって私が悩みたがりなのもあるよね(笑)」ってよくなる。
でもふとしたときに「これってまだマシなのでは?」と気づいたのが、
私の考えすぎはなんだかんだ考えすぎた末に、自分の納得できる答えを出してるってこと。
と同時に考え始めて答えがでないものだと気づいたら辞められるようになっていたこと。
ひとたび答えが出てしまえば、それが覆されるものと出会わない限りその題材は考えずに済むことになる。
それを繰り返していったら、だんだん考えすぎがやめられるのでは、っていう話だ。
まあとはいってもきっと限りなく無限に近くテーマを集めてしまう部分があると難しいが。
自分は考えすぎることの度合いが強いから何本も両立なんてしてる余裕がないから、だいたい一つ悩んで答えが出たら次。だ。
それも多感だった思春期をすぎて20代に入ってからかなり変わった気がする。年齢によるものか環境によるものかはわからない。
この気づきは本当に浪人生活の賜物で、あの途方もなく自分と向き合うしかない時間がそうさせてくれたのは間違いないので両親には頭が上がらない。
たとえば、私が答えを出したテーマを例に挙げよう。
ちなみに私の思考は論理的なような突飛のような、で全く体系的ではないと思うけども悪しからず。
つまりたぶん独自解釈すぎて宗教的に見えてくると思うけど、強要したいわけではないから「へえ、面白いこと考えるのね」くらいで流してください。
考えすぎてみた
テーマ:人の生きる意味/人が存在する目的
さーーあ浪人生がハマりそうなテーマだし、どっちとも言えて答えなんかなさそうに見えるでしょう?笑
先に結論を。人に生きる意味はない。人類が存在することに意味も目的もない。
さあ三年前の私の思考回路を辿ろう。
そう、きっとこのテーマにたどり着くのって、勉強という努力に向き合わなきゃいけない状況への現実逃避が発端で、「なんのために生きてるんだ」「努力できない自分は最低だ」が根っこ。
まあそもそもが現実逃避だから、「ない」に寄ったスタートではある。
ちょうど浪人、入ってくる情報はもっぱら大学受験の内容だから、私は大好きだった高校生物を根拠にした。
努力して結果を出すのが正義で、何もせずただ生きているだけなのは他人に迷惑だからクズ
っていう価値観。これって一種の人間社会による洗脳じゃないか?
人間だってもとは地球上に偶然生まれた動物の一種なわけで、繫栄してきた生き物が決まって5億年ごととかで絶滅してきた歴史にならえばどうせ絶滅するんだし。そんなのが何かの意味や役割をもって生まれてるわけがなくないか?
ここで感覚として共有したいのが「ダーウィンの進化論」(むずかしく話さないように頑張る!)。
高校時代の生物教師が、自民党の誤用が生物学界隈で炎上した話をしていたからすごく印象に残ってる。
よく一般的に使われる「進化」ってポケモンの影響なのか、「変化」「成長」みたいなイメージが強い。
その誤用もきっとそんな話で、「生き残ることができるのは、環境に合わせて変化できる者である」みたいな。
でもダーウィンの進化論って、もっと結果論的な話で、ちょうどそのとき環境に合った個性を持っていた個体が偶然生き残って子孫を残せる。その繰り返しで進化していきますよ~。っていうほうが近い。
ざっくり言ってしまえば、生き残ろうとして変化するわけではない。
(もうちょいわかりやすいたとえで話したい。)
だからこそなおさらなのだ。変化、成長、することが、現代の価値観でより良いとされる存在を目指すことは人という種全体として生き残っていくためには無意味で無関係なのだ。(人の社会の中では別の話ね)
これは生物の授業で印象に残りがちなあるある名場面なんだけど、地球が生まれて現在までを24時間としたとき、人間が誕生してから現在までは実は80秒くらいの話なんだ。
でその過程の中で(~紀に~が絶滅してが何回もある)
じゃあ人間だって、偶然飛んできた彗星を人間の力じゃどうにもできなくなるのか、はたまた人間がきっかけとなった地球温暖化による気候変動で住めなくなるのか、形はなんであれ、永久存続より終わりの想像の方がたやすい。
どうせ無に帰すんだ、何か使命を与えらえているはずがなくないか?(一部の宗教と対立しそうねこの辺)
知能を得たから何かを変えることが任命されてるとしたって、どうせ地球は氷河におおわれるかもしれないんだ。
だから一個人が生きてようが死のうが勝手で、地球史からみたら誰もさばけない
ちょっと派生するけど、この考えで行くと、私は「地球温暖化を止めよう!」もそんなに頑張ることじゃないんじゃないかって気がしてしまった。人間だって愚かな動物の一つなわけで、その過ちで途絶えるのなら自業自得ではないかと。
だがしかし!、ここまでの「無」にたどり着いたことで、すごくピュアなUターンをした。
どうせすべては無意味で、この生に意味はないんだし、後世に何かを繋いで永遠に残ることもないのだから、
だったら私は、今この時代を生きている自分と自分が愛する人たちが、できるだけ幸せだなって感じられるように生きたい。
てなったら、きっと私は自分の子どもと孫を愛するだろうから、「地球温暖化対策」は未来の自分と子どもたちのためにがんばっとこっかな。
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